プロフィール

頭慢(とーまん)
アマチュアシンガーソングライター。小学4年生くらいから、作詞作曲を始め、創った歌は380曲を数える。

若いころはシンガーソングライターとして名を上げて、アイドルの河合奈保子さんに楽曲を提供し、お近づきになって妻に娶ることを夢見ていた。

楽器志向が昔から無かったため、長いこと音楽をやってるわりに、楽器の演奏に関しては今一つ。若い頃にはバンドでボーカルのほか、ギターやベース、ドラム、キーボードと色々やっていたが、結局のところ、上手になろうという気持ちが希薄だったため、どれも身につかなかった。

いったんは音楽から足を洗っていたが、2011年ごろより、アコギ弾き語りスタイルで音楽を再開し、都内や埼玉にて、ライブを行うほか、フォーク酒場などに顔を出すようになった。
2017年2月、さいたまから石垣島に引っ越す。石垣島にて毎月ワンマンライブをするほか、島内のライブバーなどに出没している。
2022年4月1日 ミニアルバム「石垣島ソング2」リリース。当Webサイトならびライブ会場で販売中。

音楽歴

1963 埼玉に生まれ埼玉で育つ。6歳上の兄の影響でフォークソングになじむ。テレビの歌謡曲番組も好きで、アグネス・チャンにときめいた。
1973 小学3年~4年。この頃から作詞・作曲をはじめる。楽器は最初ウクレレを弾き、やがて、フォークギターを親に買ってもらった。明星や平凡の付録の歌本で、知ってる歌をギターを弾いて片っ端から歌ってた。
1976 中学時代にブラスバンド部に入ろうかとも思ったがやめた。そういうのに入ってれば、もっと音楽的な質は高まったかも。結局中学時代音楽的に目立った動き無し。
1979 高校に入るが、高校にフォークソング部的なとこが無かったことは残念。高校時代は石川ひとみのファン。
1980 この頃、十数曲、高校の友人、上野ゆきながの作詞に曲をつける。人の作詞に曲をつけることを初めて行った。
1980 高校の文化祭、所属部(音楽系ではない)の呼び込みで廊下でギターを鳴らし長渕剛を歌いまくって人だかりをつくる。これが人前で歌う喜びの原点となった。
1981 高校三年の文化祭で初めてのライブ。友人との二人組ユニット「とりぱのそーま」で出演。全曲オリジナル。
1982 大学に入って、前年に創設された「オリジナルソング研究会」(以降オリソン)に入る。音楽活動が盛んになる。
1982 大学の先輩から教えられた「龍 あわせ鏡」というレコードに感銘を受け、擦り切れるほどに聞き返した。後に知り合いとなる佐藤龍一氏のレコード。
1982夏? オリソンの定演が、サークルに入って初めての外部向けライブ。3人組ユニット「こーえつと仲間たち」として出演。
1982冬 浦和「ヴェルデ」のホールでオリソンライブ。後に「とーまん金」と名付く柿野金太郎とのユニットで出演。ライブで初めてカバー曲も歌った。演ったカバーは、BUZZの「はつかり5号」と松本伊代の「風のソネット」。
1983.3.2 オリソン卒業生の卒業ライブを観て感銘をうけ、バンド指向が強まる。
1983 奥村雅信とのユニット「SQUAL」結成。最初に一緒に演った歌は「首のないおひな様」。はじめ、アコースティックデュオだったが、その後二人を中心とするバンド構成に。
1984 BARLとのユニット「TRISTAN」結成。BARL作詞とーまん作曲の歌が60曲有余。それらをアコースティックサウンドで演るグループとして結成した。
1984.10.27 SQUAL公看祭ライブ。公衆衛生看護専門学校の文化祭にゲスト出演。二人のアコギデュオで演奏。後に嫁となるゆぴさんを引っかけた。
1985.3.12 このオリソン定演に、初めてバンドとしてSQUAL出演。
1987 大学卒業。卒業後も少しの間、SQUALとTRISTANを継続したが自然消滅。
1991? 女性ボーカル千夜野のバンド「Conbrio」に参加。作曲&ギター&バックパフォーマンス担当。このあと、何度かライブを行う。
1992.5.30 醍醐伸明、マイケル井上とともに「超人会」結成。ライブハウスRITS(新高円寺)にてライブ。
1992.10.4 超人会ライブ 川口リリア小ホールにて。超人会の活動は、ここまでのライブ2本だけ。(後に「超人会みたいな」として一度復活)
1992.11? Conbrio 外環自動車道 川口ジャンクションの開通イベントでライブ。
1994.9.3 Conbrio 日比谷野音ライブ
1994.12.25 オリソンオールスターフェスティバルにて、柿野金太郎とのユニットとーまん金(頭慢金)で出演。とーまんを漢字表記にしたのはこの時が初。また、SQUALも復活して出演。
1996.8.10 秩父ミューズパークでライブ。Conbrioの出演ほか、ゆぴさんのバンド「お日様さんさんバンド」のベーシストとしても出演。
1997 この年位までConbrioとしての活動。色々あって消滅。その後、音楽活動停止。
2010 「彼女の憐憫」「大切にしたい」を醍醐伸明のプロデュースのもとスタジオ録音。
2010.11.21 若い頃に聴いた佐藤龍一氏のライブを東京 新宿の「レノンハウス」に観にいく。とても感動しその後も氏のライブに通う。このことが、ライブ活動再開のきっかけとなった。
2011.6.10 ライブ活動再開。東京 新宿の「レノンハウス」をメインに、アコギ弾き語りでライブなど行うようになった。気持ちを一新する意味で、音楽をやるときの名前表記は漢字で「頭慢」とする。
2013.5 その後、東京都内各所でライブ活動を行っていたが、この頃、感染症などで、喉を壊し、まったく歌えなくなる。半年以上、歌えない日々が続いた。
2013.11.17 半年の養生で声がもとに戻り「レノンハウス」でライブ再開。喉を傷めて高音域が出せないころ作った歌「涙のさいたま新都心」を披露。
2014.8.9 埼玉 南浦和「宮内家」にて、大学の先輩の青柳敬二と、ツーマンライブをセルフプロデュースで開催。このころより、ライブは月一回ペースとなる。
2015.3.8 東京 蔵前のライブバー「Slow Life」にて初ライブ。Slow Lifeは、SQUALでデュオを組んでいた奥村がその妻のたまえちゃんと開いた店。以降、同店にてライブを多数行う。
2017.2.1 沖縄 石垣島に引っ越す。活動拠点を石垣島とする。
2017.3.23  「たかしの店」にて初ライブ。以降、同店にて毎月ライブを行う。石垣島情緒を歌った歌を多く作るようになった。
2018.1  かさぴとのユニット「ピーマン」結成。昔の男女デュエットソングカバーを中心に歌う。
2020.2.10 「たかしの店」での毎月のライブが36回目。始めて3年となる。
2020.5.17  ミニアルバム「石垣島ソング1」リリース。石垣島 石垣島 新型コロナ被害 支援 チャリティCD(CD-R盤) として頒布。
2020.5 群馬出身石垣島在住アーティスト 野田マユミ をプロデュース。「さよならの理由」リリース。
2020.5.29 ミニアルバム「石垣島ソング1」Amazon、Apple等、主な音楽配信サイトから一般ダウンロード販売開始。
2020.12.4 野田マユミ 1stミニアルバム「音楽は愛だ」をプロデュース。Amazon、Apple等、主な音楽配信サイトから一般ダウンロード可。
2022.4.1 ミニアルバム「石垣島ソング2」リリース。